恩師の死

いつも読んでいただいてありがとうございます。

 

あまりよろしくない天気が続きますが、季節の変わり目ですので体調にはご留意していただきたいと思います。

 

弊社では各大学訪問をさせていただいています。

 

そこで感じるのは、入社後のミスマッチを学校も危惧している点です。

 

確かに会社に入るという事は仕事をやりがいにつなげていく事がポイントとなります。

 

まず、自分が少しでも興味を持てるのか?を仕事体験で判断していただく事が目的です。

 

よって弊社では、いきなり面接ではなく仕事体験をしてもらって「よしこの仕事やってみよう!」と感じてくれた人に面接を受けてもらうようにしています。

 

 

 

話は飛びますが今回は私ごとのはなしをかかせてください。

 

私が通った中学校は結構荒れていました。今思うとあの時代どこでもそうだったのかもしれませんが、私が小学校の卒業まじか6年生だった時

 

黒い学生服を着た中学生に呼び出され、それこそ体育館の裏で「こいつとケンカしろ!」と言われました。

 

殴り合いの喧嘩なんてしたことありませんでしたがなんとなくやって終わった後に仲間意識が芽生え中学に入ったらそういった連中に温かく迎え入れられました。

 

中1で制服は、すぐに変形しました、当時は長ランから単ランへの移行時代でしたが、先輩からもらったのは長襟のちゅうらんでした。

 

 

当時は結構みんなこんな感じでした。

 

母は、めちゃくちゃ心配していたと思います。

 

今思うと反抗期も重なり母にはめちゃくちゃ心配かけたと思います。父も(現会長です)結構心配していたと思いますが、

 

私以上なのでそこまではなかったかなと今は思います。

 

中学時代と高校時代では喧嘩の種類も変わります。中学で人を殴るのと高校で人を殴るとでは全然違います。

 

中学ではどついても気持ちよかったけど高校になったら自分の気持ちが痛くなるのです。殴ると人は傷つきます。

 

高校生では力もタイミングもbestパワーでどつくのであいてが致命傷を負います。目が見えなくなるとか、

 

耳が聞こえなくなるとか死なせたらあかんと思うようになります。

 

 

そんな中学時代に奇跡的に出会わせていただいた今となっては恩師と仰ぐ大倉先生。

 

泉陽高校 阪神タイガース 大体大 教員 と異色の経歴を持ち、たまたま出会わせていただいた人。

 

大倉先生に出会わせていただけなければ、自分はダメになっていたと思います。

 

常に可能性を追求し諦めないその言動には脱帽です。

 

 

今年の7月そんな私が恩師と仰ぐ大倉先生が亡くなりました。

 

ブログでは、プライベートは書かないようにしていますが私の恩師の事を書かせて下さい。

 

前述のようにくちゃくちゃな中学時代に野球部顧問として出会わせていただきました大倉先生には感謝しかありません。

 

私の妹の結婚式の日、「智が死んだ」と電話してきた日から十数年(智とは大倉先生の長男)、

 

あなたがいなくなって私は何を道しるべにしたらいいのでしょか? 

 

「勝手にいきあがって!ばかやろー!」

 

 まだ気持ちの整理が付きません。

 

                                       

 

 大倉 正貢  2018年 7月 没

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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